40年くらい前から2000年代に入っても、梅田の阪急東通商店街に作家の奥田継夫さんが営む「ミール亭」という酒場があったそうです。
奥田さんは、後に映画にもなった『ボクちゃんの戦場』(ポプラ社)で知られた児童文学作家で、お店では月に一度、作家を目指す人たちが書いたものを持ち寄って書評会が行われていたそうです。高科先生も一時は参加していましたが、デビューしてからは行くのをやめたそうでですが、「ミール亭」には長新太の絵が描かれた小皿や、篠原勝之(クマさん)の作品などが飾られ、当時の高科青年にとっては夢のような場所だったそうです。

その頃高科先生は、今江祥智・ 上野暸 ・灰谷健次郎のお三方を師匠と仰ぎ、講演会などでお会いできる機会があれば出向いて、いろんなお話を聞いて学んでおられたそうです。

この日のテーマは、「子どもと家族」(家族の有り様)でした。
子どもの文学で家族がテーマになっているものは珍しかったのですが、1960年代後半に山中恒が 『ぼくがぼくであること』(現 角川つばさ文庫)を出版し、話題になりました。
74年に 松谷みよ子 が「小さいモモちゃん」シリーズを出版しました。この中の1冊『モモちゃんとアカネちゃん』(絵 酒井駒子/講談社) の、両親の不仲や死についての記載された箇所を見ていきました。
子どもの文学は向日性のものでないといけないと言われていた時代に、敢えてタブーとされていたものを描いた作品です。とはいえ、受け取る側があまり深刻にならないように、ネコのプーやふたごの靴下のキャラクターを登場させて、うまく緩和しています。
松谷さんもこのシリーズを続けるにあたって、作家としての立ち位置を決めて臨んだことでしょう。

78年には、神沢利子が半自伝的小説『いないいないばあや』(絵 平山英三/岩波書店) で、子どもたちが感じとる恐れや不安を描きました。
ドラマの方では74年にオンエアされた『寺内寛太郎一家』、77年の山田太一脚本『岸辺のアルバム』が新しい家族の形を描きました。

映画でも80年代の森田芳光監督の『家族ゲーム』、90年代が相米慎二監督の『お引越し』、2000年代は是枝裕和監督の『誰も知らない』などで、どんどん複雑で深刻になる家族の形が描かれており、「家族って一体何?」と考えさせられます。

現代では「子どもの貧困」が問題になっている一方で、古い家族の形を守ろうと主張している人もいて、正面から向き合うのは難しい時代です。
エーリッヒ・ケストナーは、1940年台に出版された『ふたりのロッテ』(岩波少年文庫) ですでに「両親の離婚で不幸になる子どもがいる一方で、両親が離婚しないことで不幸になる子どもがいる」と言っています。

休憩を挟んで後半は
Ⅱ さあ、書こう
11. 正確に書く の箇所を見ていきました。
正確に書くためには辞書を引き、資料をあたることが大事ということで、参考資料として朝日新聞の「道標」の記事「校正者・牟田都子の『あたる』」を。
昔はスマホやパソコンで検索できなかったので、校正や校閲をする時には図書館や資料室で辞書や辞典を引いて調べ、言葉を揺るぎないものにする覚悟と、政治家の言葉遣いのあやふやさの比較は、興味深いものでした。

テスト問題に使用されている文章は、作家が思っているのとは違う解釈になっていることも多いそうです。
ゾウでも象でもない「ぞうさん」は、まど・みちおの書いた童謡です。
「ぞうさん」という言葉について、自分の思うところ、経験したこと
まど・みちおの詩に関する一考や自分の思い出、等々。






